Glossary (用語集)

Sony

SMCシリーズの生みの親です。
んが、これまでいくつも騙されました。ベータマックス(ぐぐぅ)にデジタルエイト(爆)。
最近では1.3GBのCD-RW(DD-RW)。アメリカじゃ、メディアが通販でしか買えん!!

SMC-70

Sony初のマイコン。(当時まだパソコンという単語は無かった)
777に比べると、以下のような違いがあります。
 16色アナログRGB
 PSG無し
 モニタプログラム内蔵
 ROM BASIC内蔵
 RS232C標準装備
などなど。要するに、
SMC-70 -(モニタ+ROM BASIC+RS232C)+(PSG+4096色オプション+標準FDD) = SMC-777
ということですかね。
SMC-70を改造して、777のソフトを走らせる(SMC-77)というのがOh!HitBitに載ってました。

SMC-777

世界初のアナログRGB4096色対応&3.5インチFDD標準搭載機。当時はデジタル8色表示と
5インチFDDが標準でした。いまどきの32bitカラーのWindowsや、既に売ってない5インチディスク
などを考え合わせると、すっげぇ先進的だったんですねぇ。これが3インチやら3.25インチ(爆)
だったら、メディアも手に入らない羽目に。こちとらセロテープさえあれば市販の2HDでオッケーだし。
ちなみにメーカーさんは「エスエムシースリーセブン」と呼ばせていたようですが、正確には
エスエムシースリーセブンズもしくはエスエムシーセブンセブンティセブンと呼ばねば
いけないような気がします。銀河鉄道999も同様ですが。でも悪魔の数字はシックスシックスシックス
でいいんだそうです。不思議ですね。

CP/M

CP/Mそのものの詳細はまじろじさんのところが詳しいので、ここでは省略します。
当時のマイコンは、CPUが6809だろうが6502だろうが、とりあえずZ-80カード
というのを用意して、CP/Mが走るようにしておかないといけない、というような
状況でした。CP/Mの時代は、OSはデジタルリサーチ、開発ツールはマイクロソフト
と言われていたそうですが、かのIBMがパーソナルコンピュータを作るにあたり、
OSの選定をすべくOSベンダ各社に打診した際、CP/MでOS市場を席捲していた
デジタルリサーチのキルドール社長は、IBMとの打ち合わせをすっぽかすという
荒業にでて、彼らを相手にしませんでした。IBMが仕方なくマイクロソフトの
ドアをノックしたところ、マイクロソフトは彼らを丁重にもてなした揚句、OS
を作る事にも同意しました。が、当時マイクロソフトにはOSなぞ無かったので、
彼らはCP/MのクローンOSを作っている会社からそれを買い上げ、PC-DOS(後の
MS-DOS)として、今年で満20歳となった初代IBM-PCに搭載しました。それが
今日の「ソフトウエアジャイアント」の基礎になった訳です。
キルドール博士はDr.Logo言語の設計者の一人でもあり、技術者としても認知されているのに対し、
ビルゲ○ツ氏が本人の意に反して「一流のビジネスマンだ」と揶揄される原点
は、どうやらここらへんにありそうです。

BUG

かつて、SMC-70向けにペリフェラルシリーズというサンドイッチ周辺機器その他を作っていた会社。
BUGの社史によると、SMC-70のモニタプログラム以降、SMC-70用SonyBasic、SMC-777用
SonyFilerまでのバンドルソフトウエアは、BUGの手になるもののようです。
するってことは、あのGUIも、ANN表記のアセンブラも、全部BUG製なワケですね。
SonyFilerそのものは、CP/M1.4互換のOSで、当時のデジタルリサーチにSonyが製作の
直談判をしてオッケーをもらったもの、とOh!HitBitに書いてありました。
この前、某展示会でBUGの人と話をしたのですが、当時SMC関連のビジネスに携わって
いた人は皆取締役以上になっているそうです。SonyでVAIO作ってる部署の福田部長さんも
SMC関連のビジネスに携わられていたそうです。VAIOの真の祖先はSMCだった、ということの
証左ですね。Quarter-L? NEWS? ソレハナンデスカ?

松田聖子

当時は、押しも押されもしないトップアイドルでした。
娘さんのデビューの年に、こんなページを立ち上げるというのも何か感慨深いモノが(笑)

MSX

8ビットの業界標準プラットフォームを作るべく、マイクロソフトが提唱した企画。
PC負け組みがこぞって参入しましたね。
ちなみに、Sonyの社史によると、SMC-70が初のマイコン、その後MSX云々という表現があり、
SONY-777は社史の上では無い事になってます。(笑)

Oh!HitBit

ソフトバンクが1994年から発行していた、SMC/MSX系の季刊(笑)誌。創刊号はなぜかOh!Hitbitになっており、
創刊2号からOh!HitBitに。SMCユーザーにとっては、ほぼ唯一の情報源でしたが、第12号であえなく
休刊に。Oh!パソピアや、Oh!Dynabook(爆)に比べれば、息が長かった、とも言えませう。

ANN表記

インテルニーモニック(8080)やザイログニーモニック(Z80)に対抗してSonyが提唱したアセンブラ
表記。直感的だがすでにザイログ表記に慣れている人は見向きもしないし、初心者はANN表記より
BASIC覚えるのが先、ということで普及する事はありませんでした。

Dr.Logo

セイモア・パパート博士が提唱した教育理念を実装したインタプリタ言語。やはり普及はしません
でした。ちょっと遊ぶとすぐメモリ不足になったし。
某Logo関連書籍によると、当時SonyのSMCの関連する事業部(MCOA事業部)の事業部長は、
現社長の出井伸之さんですわん。


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